あるあるといえばあるあるでしょうか?
例えばこんな問題。
たて20m、横10mの長方形の土地があります。この土地のまわりに、5mおきに木を植えます。木は何本必要ですか。
土地の周りの長さが(20+10)×2=60m
5mおきに植えるから 60÷5=12 答え12本
という問題です。
小3コドモの最初の読み取り。
「え~、土地のまわりに5mおきに木を植えていくんでしょ?
そんなの、無限大じゃん!」
曰く、その長方形の土地のまわりというのは
無限大に広がっていってるだろうから
その面全体に広がるように
5m間隔で点在するように木を植えていくとしたら
無限に植えられるじゃないか!
ということのようでした。
まぁ、言われてみれば確かにそう読めなくもない。
まわりを『周辺』という面の意味で読んでるのですね。
『周辺』が無限大に続く、というのではそれはやがて周辺にならないんじゃないか!
とも突っ込めますが。
公立小の算数文章題の読み取りには
苦労しなかったほうのタイプのワタシからすると
何であえて(悪く言えばひねくれて?)
そんな読み取り方するの~?
そしたら答え出ないじゃん!
という感じなのですが、
オットに言わせると、
「コドモがそんな風に読むのはよくわかる。
だって、そう読める。
俺も最初、算数の文章題って
そういうところがよくわからなかった」
なんだそうで。
土地のまわりに、と言われて
土地の周囲の線上だけをパッと思い浮かべてしまう
ワタシのほうが素直じゃない読み方してるの?
なんて思ってしまいました。
とは言え、
これから算数の問題を様々解いていくことになるわけで
コドモには
「算数でも他の教科でも何でも
今みたいに『僕はこう読むけど』ってことあると思うんだけど、
『普通はこう読む』みたいなことがある場合もあるんだよね。
何が『普通』かは、また難しいと思うんだけど。
問題が不親切なこともあるし、おかしいこともあるよ。
でも、基本的には、
問題を作る人は『こう答えてほしいな~』って
思って作ってるから、
正解したいと思うなら、
その問題を作った人の気持ちを読み取って
答えていくのが大事なんだよ」
と言いました。
算数の文章題への慣れの問題もあるのでしょうが。
ここから妄想。
『まわり』と言われて
ワタシのように
パッと周囲の線上を思い浮かべるのを発想Xタイプ
と仮に定義して
周囲を面で思い浮かべるのを発想Yタイプ
と仮に定義したなら、
YタイプはYタイプで
テストで点は多少取りにくいかもしれないけど
後々おもしろいことを考えていくかもしれないな~
と思うような思わないような・・・。
両方の視点を持てるのが最強か???
なんて。
さて、どうなることやら?^^
両方大事にできるようにフォローできるといいんだけど。
小2時に、文章題の意味がわからないと言ってる様子。