好きに暮らす

短時間パートママが小5男子の子育て中。好きに書いてます。^^

【小5】「○○がいい」「○○でいい」

ワタシと小5コドモの会話。

 

ワタシから

「今日の晩御飯、お好み焼きでいい?」

コドモは、お好み焼きは好きメニューの一つではあるのだけど

晩御飯っぽくはない、と捉えてる。

だがしかし、運悪くお米を切らしてしまい

仕方ないので、お好み焼きでどうでしょう? という問いかけ。

 

「他には?」

 

「焼きそばでもいいかな~」

 

「お好み焼きでいいよ」

 

「『お好み焼き』じゃなくて

 『お好み焼き』って言ってもらったほうが

 こっちの気分がいいんだけど。

 何々で、って言われると、妥協して仕方なくって感じに

 受け取れちゃうから」

 

「じゃあ、お好み焼きでいいよ」

 

じゃあって、その接続詞、使いかた、おかしいから~。

コドモもわかってて、あえて茶化した感じで言ってるのであって

場の雰囲気が悪いわけではないです。^^

 

こういった感じのやりとりはたまにあって

例えば

「お昼、パンにする? モス(バーガー)にする?」

 

「パンでいいよ」

 

「パンがいい?」

 

「パンでいい」

 

「『パンで』じゃなくて

 『パンが』って言ってもらったほうが

 こっちの気分がいいんだけど。

 以下、同文…」

 

   ・

   ・

   ・

 

ある日唐突に思ったことが。

 

確かに「〇〇がいい」って言ってもらったほうが

ワタシとしては気分がいいのだけど

コドモにしてみたら

本心からの「お好み焼きがいい」「パンがいい」

ではない、というほうが事実。

それらがものすごくいい選択肢なわけではないけど

とりあえず、母がそう提示してくるなら

まぁ「お好み焼きでいい」し「パンでいい」

なのだよな~、と。

 

コドモはコドモの気持ち通りの言葉を的確に選んでいて

それを聞いたワタシのほうで

ちょっとネガティブな気持ちにはなる面はあるのだけど

だからと言って

そこでワタシの気持ちを汲んで言い換えさせる必要も

(ワタシとコドモとの関係性なら)

ないか~。

 

コドモに言い換えを求めるより、むしろ。

 

コドモが、最高の選択肢とは思ってないにせよ

とにかくは

「〇〇でいい」って承諾したことには違いないのだから

そのまま〇〇で話を進めて何ら問題はなく

ワタシが何かコドモに対して申し訳ないような

気持になったりする必要は全然ないんだ!

と考える方向性もあるか、と思いました。

 

「が」と「で」に、そこまで差もないとも言えるから

コドモも深く考えずに、ちょっと気を遣って

「が」で答えてくれてもよさそうな気もするんだが。

同様に

「が」と「で」に、そこまで差もないとも言えるのなら

ワタシも深く考えずに

「で」でも気にしなければ、それでよいとも言えるか。

 

相手の気持ちを汲んだり、空気を読んだりして

自分の本心とは多少違っていても

「〇〇がいい」って言えることもできたほうがよい

面もありつつ

言ってることと思ってることにあんまり差があるというのも…。

 

うーむ。コミュニケーションは難しい…。

 

とりあえず

コドモが「お寿司でいいよ」と言うことはない我が家なのでした。^^