当たり前ど真ん中のタイトルの本???
読みました。^^
こちらの本です。
「なるべく他者(親とか世間とか?)の意見に沿って生きよう」と
どんなに努力しようとしたところで
結局それでは生ききれないケースが
世の中多いんじゃなかのかなーと
いうのがワタシの感覚です。^^
ちきりんさん、
のブログは時折拝見していますが、書籍の購入は初めてです。
正解のある問題と正解のない問題
①正解のある問題 → 正解を調べる。
②正解のない問題 → 考え尽くして意見を持つ。
という分類? がされています。
ワタシとしては、
②でも、考える為の前提知識は
知ったり調べたりする必要がある場合があって、
その上で、考え尽くして意見を持つ、という順番になると
意見を言いやすいのかなーと思います。
と言っても、殆ど調べてないけど、
感覚的に? 少し考えただけで? 意見のあるような
社会的テーマもワタシにも幾つかあります。
そういう時に、書きにくいなー、と思うのは
反論が怖いから、という部分も確かにあるし、
誰かを傷つけそうだから、という理由の場合もあります。
誰も傷つけない文章なんてなかなか書くのは難しいと思っていますが。
今のところ、そういうのはオットに
「ワタシはこういう意見なんだよ」と話して意見交換する・・・、
な感じです。
ちきりんさんは、意見を求められている時点で、
その問題に正解・不正解はないのだから、
何も知らなくても、考えたことがなくても、
その時点で考えて意見を持つことはできるハズ、と書いてらして、
つまり「意見を持て」=「考えよ」である、と。それは確かに。
いずれにせよ、
①を考え続けても仕方ないし、②を調べ続けても仕方ない。。。
最初に①なのか②なのかを理解しておけば
いたずらに時間を費やすことは避けられる・・・。
ということをわかっておくのはよさそう・・・。
それは本当に自分の意見?
「その自分の意見とやらは、本当に自分の意見なのか?」~略~
どこかの本に書いてあった「誰かの意見」や、ネットで見かけた「みんなが言っている意見」ではなく、本当に「自分のアタマで考えた自分の意見なのか?」ということは、しっかり確認する必要があります。
『自分の意見で生きていこう』ちきりん ダイヤモンド社刊 以下同じ
一応、良くも悪くも、
何かを言われても譲れない部分はあったりする自分だと
自覚しています。(誰しも、そうなのかな? どうなのでしょうか?)
身近なところで
家事・育児と仕事のバランスとか
子育て方針とか
いろんな考えがあり、自分や自分の家族の最適解を
都度選んでいくことになります。
それは自分(や家族)自身の考えで選んだものなのか、
本当によくよく考えよう! と改めて思いました。
本当に自分のアタマやココロで
考えた(感じた)ことなのか?
へぇ~そうだったのか! と思った部分
私もよく「絶対こう思う」という言い方をしますが、それは「自分の意見は絶対に正しい唯一の正解だ!」と言っているわけではありません。単に「私はしっかりと考え尽くした。したがって、自分の意見がこういう意見であることに絶対にブレはない!」と言いたいだけです。
ちきりんさんの場合ではないのですが、
たまに、意見や考えが主張される際に、
語調が強い(とワタシは感じる)文章に触れる時があります。
そのかたの意見だけが正しくて、それ以外は間違いだ!
違う意見を持っている人はおかしい! と言われてるように
ワタシが感じてしまうような。(←被害?妄想気味なのかも? で書きにくいのですが。汗)
それはもしかしたら、
この、ちきりんさんのように、語句の使いかたが
ちょっと端折られている? だけなのかもしれない、と思いました。
そういう場合は、ワタシのほうで、
「ホニャララホニャララ~(と、意見してる人は思ってる)」
とか自分で補って読めばよいのか、
と、ちょっと、ここは目から鱗な感じでした。
そう言えば、よくオットが言ってます。
「と、その人は思ってるってことでしょ」と。
端折られてるかも? ってこと、なかなか想像できてませんでした。^^
一方で、本の中には出てきませんが、現状、
そもそも『意見』という語自体に
相手を否定する意味合いがある場合もあると気づきました。
意見:①あるものごとについての考え。
②考えを言って注意すること。
例:一日じゅう遊んでいたら、父に意見された。
チャレンジ小学国語辞典 ベネッセコーポレーション刊
この文脈では、一日中遊ばないのが(父にとっての)正解、という感じだし、
意見には、相手を否定するような響きが感じられる場合は
やっぱり、あるか。。。
違う意見をお互い尊重するという意味で
自分の意見は自分の意見で言ってよい、
でも、言いかたには気遣いも持つようにしたい、とワタシは思いました。
他者と異なる意見にこそ価値がある
私自身は30代に勤めていた会社で、反応と意見の違いを教えられました。その会社では常に反応ではなく、自分の意見を明らかにするよう=自分のポジションをとるよう求められました。そして「他者と異なる意見にこそ価値がある」とも教えられました。
確かに〜。「他者と異なる~」は、そういう側面あるかも。
ちょっとドキドキしても、
他者と異なる意見を言う勇気がもらえる文章でした。
「反応」というのは、自分の意見(=ポジション)を明らかにしないままの
リアクションのことと書かれています。本の中に詳しく書いてあります。
子供を育てる時に大切なこと
子育てや教育について、
大切なのは「正解のある問題における正解を覚えること」ではなく、「正解のない問題について、自分の意見を明確に言える子供に育てる」ことであり、「自分はこのおもちゃが好きだと思うけど、ママ、それでいい?」といった、答え合わせを必要としない、自分の意見に自信を持てる子供を増やすことなのです。
「自分表現ツール」となりうるさまざまなものを、できるだけたくさん学校教育の中で体験させるのはとてもよいことだと思います。またその際、「これらを学ぶのは、みんながそれぞれ自分に合った表現方法を見つけるためなのよ」と教えてあげたら、それぞれの教育の意義もより理解されやすくなるのではないでしょうか。
現在小3のコドモに
親や世間がどう言おうとも「コレが好き!」と言っててほしい、
いろいろ経験して自分にしっくりくる表現方法を見つけてほしい、
ワタシの願いです。
長くなっちゃったー。終わります。