お正月に、みんなで飲んだ際に、
「オットは『世界に1つだけの花』という歌があまり好きじゃない」
という話になりました。
- 「世界に1つだけの花」があまり好きではない理由
- 自己肯定感高くないと思ってました
- 実は、自己肯定感高めだった?
- HSPというのを知って。これからの希望
- コドモの他者肯定感のすごさ
- 自己肯定感が自然に育っている人はズルいと思ったことがある
- まとめ
「世界に1つだけの花」があまり好きではない理由
あまり好きではないというのは以前から聞いていて、
理由として「この歌が売れる理由がよくわからない」
という風に聞いていました。
ワタシは「『売れる理由がよくわからない』っていうのがよくわからない」
と思って、全然ピンと来ていなかったのですが
(それ以上聞いても、きちんと説明してくれなかった(できなかった?))
この時、初めてわかりました。
「ごくごく当たり前の普通のことを歌っているだけ
なのに、この曲に感動する人がたくさんいて、
ミリオンヒットしてしまう、
そういう世の中であることに違和感がある」
というようなことらしいです。
思わず
「それは、〇〇(オットの名前)さんが幸せに育ったからだよ」と
言いました。
自己肯定感高くないと思ってました
自己肯定感って、しばらく前からよく聞くようになりました。
「日本の子供(日本人)は、自己肯定感が・・・」とか、
「自己肯定感の高い子供に育てよう」とか。
自分のことは、自己肯定感が高いふりはしたかったけど^^、
「自己肯定感高いです」とは、言えませんでした。
身近で、スーパーポジティブなオットが
「自分大好き!」と言うのを聞いて、
とても、ワタシはそこまでじゃないな、と思っていました。
幼い頃に、父親に
「うちは放任主義だよね」と言ったら
すごい剣幕で怒られた時のことがちょっとした傷になっていて
(詳しくはこちら)、
(それだけが原因でもないですが)以降、言葉を発する時に、
ちょっと考えてしまうようになり、
考えてるうちに、タイミングを逃して結局話せなかったり、
やっぱり言わないでおこう、と思ってしまったり。
実は、自己肯定感高めだった?
ただ、去年49歳にして、ブログ記事を書きながら思いました(遅っ^^)。
「うちは放任主義だよね!」
と言った時の、『放任』という言葉を、ワタシは、
「(ワタシの親は)ワタシを信頼して、ワタシに任せて、育ててくれてる」
という意味で使っていたんだな~と。
ということは、つまり、ワタシは(自分で言うのも何ですが)、
親に信頼されている、
と感じながら育っていたんだな~って。
その後の、「うちは放任主義じゃない!」と怒った父の
怖さだけが強烈に印象に残ってしまっていて、
そっちの痛手のほうにばかり気がいっていましたが、
基本にあるのは、間違いなく信頼感のほうだったか、
と思ったら、自分がものすご~く安定した感じがしました。
49歳になって、こんなこともあるんだな、と、自分で驚きました。
まぁ、気のせいかもしれませんが、
気のせい、大事だと思うので^^。
オットに
「実は、ワタシって、自己肯定感高めなのかも?」って聞いてみたら、
「は? そんなこと考えてたの? 相当高めじゃん!」だそうで。
拍子抜けしました。^^
HSPというのを知って。これからの希望
しばらく前から、HSP(生まれつき?繊細な気質の持ち主)
という言葉も聞くようになりました。
HSP度診断的なものを読んでみると、
自分がHSPとは思いませんでしたが、
いくつか、あてはまるところもあります。
例えば、何人かでいて、
会話をテンポよくやりとりするようなことに苦手意識があります。
苦手意識を持つようになったことの原因として、
「放任主義じゃない!」と怒られたこと等、
家庭環境は大きいな~と思っていたのですが、
それだけが原因でもなく、
ワタシの元々の性質(ちょっとだけ繊細位?)的なものもあるように感じます。
(他にも、経験した学校環境とか、広く社会環境とか、当然いろいろ)
そういったことから考えて、
例えば、もっとひどい虐待を受けている(た)ような
かたが自己肯定感を持つのは、相当しんどいだろう、と思います。
あるいは、もっと繊細なタイプの人が、ちょっとしたことでも、
ネガティブな方向でメッセージを受け取った場合も、
自己肯定感を持つのは、相当しんどいだろうと思います。
でも、以前よりは、そういったことに対する情報や
多様性に対する理解が増してきているところに
ワタシは希望を見出しています。
少しずつでも、自分に合う方法を見つけて、
自己肯定感を高めて、親子共に幸せになってほしいです。
何故か? そのほうが、ワタシ、コドモ、オット含めて、
みんなが生きやすくなると思うから。
コドモの他者肯定感のすごさ
6歳のコドモといっしょに暮していて思うのは、
コドモの他者肯定感(というかママ(というか、ワタシ)肯定感、
ワタシ大好き感?)はものすごいなぁ、ということです。
(自分で言いますが、基本、コドモに優しいもんね、ワタシ^^)
本当に、無条件に肯定してくれているように思えるので。
これだけ肯定されると、
コドモに、ワタシの自己肯定感を育ててもらっているような気にもなってきます。
ずっと一緒にいると、ワタシ的には、
もう少し自由を頂戴~っと叫びたくなりますが(たまに言ってる)^^、
コドモのほうは、ワタシと一緒にいて、
安心かつ自由、心底、世界を楽しんでいる?
ように見えるので(真実はわからないけど)、
そこから、揺るぎない自己肯定感や他者肯定感が育ってくれればいいな、
と思っています。
自己肯定感が自然に育っている人はズルいと思ったことがある
教育格差問題が言われたりしますが、
それ以前に、親等の自然な愛情を感じて育っている人は、
自己肯定感が自然に育って、人間関係も上手で、子育ても自然にできる。
親等の自然な愛情を感じられずに育っている人は、
自己肯定感も育ちにくく、 人間関係や子育てもうまくできにくい。
という図式が成り立つ傾向にあり、
幸せに育った人が悪いわけでは全然ないけど、
でも、何ともズルいな~と思ったことがあります。
苦労した人にこそ幸せになってほしい、というか、ね。
まとめ
話があちこち飛んで、まとまりなくなっていますが、最後に。
「世界に1つだけの花」がミリオンヒットする世の中 =
自己肯定感を持ちにくい世の中
という考え方が妥当かどうかわかりません
(ワタシが勝手に思っただけ)が、
「世界に1つだけの花? 当たり前過ぎる曲だよね」
と思う人が増える位のほうが生きやすい世の中なのかもしれない、と思いました。
あ、「世界に1つだけの花」の
楽曲自体を否定したり、この楽曲を好きな人を否定するわけではありません。
個人的には、「No.1にならなくてもいい」とまでは、
あえて言わなくていいかな、とちょっと思っていますけど。
オットは、SMAPの曲の中では「夜空ノムコウ」がいちばん好きです。