好きに暮らす

短時間パートママが小5男子の子育て中。好きに書いてます。^^

新年早々のイライラと決めたこと

義実家でお正月を過ごし、自宅に戻って2020年初めての家族全員の休日。

 

2020年のイライラ初めでした(苦笑)。

ただのワガママ話、贅沢な文句を言っているのかもしれません。でも。

  

ネガティブな気持ちに注目してみよう

が、2020年の抱負の1つなので、

振り返ってみます。

 

ずっとイライラしっ放しだった1日

日曜の朝、9時頃?、コドモもお腹がすいてきた。

オットを起こしにいって、

「起きる」と返事したのに起きてこない。

 

30分位して、もう一度、起こしにいって

「起きる」と返事したのに、やはり、起きてこない。

 

もうしばらくして、

「もう、朝ご飯食べちゃうからね」とキツめに言って、放置。

しばらくして、リビングに降りてきた。

この時点でもうかなり、イライラッ

 

「起きられないなら、『あと何分、寝かせてくれ』とか言ってくれれば、

そうか、もう少し寝かせてあげよう、ってなるのに、

『起きる』って言いながら起きてこないから、イライラするんだよ。

何回も言ってるじゃん」

もう3回位?繰り返された会話。

 

「しょうがないじゃん。起きるつもりなんだから」

 

オットは、平日、土曜の睡眠時間が足りていないので、

日曜の朝に寝たい気持ちはわかるのです。

この日は夜中3時?4時?位に寝ているハズ。

それで、9時起床となれば眠いのも無理はないと思う。

でも、それなら、「ごめん。眠い。起きられない」と言ってくれたほうがいい。

諦められる。

 

何やかやで、朝ご飯を食べ終わり、

前日、TVで録画していた「教場」を観たかったワタシ(木村拓哉さんファン^^)。

コドモが「マイクラやりたい」と言い(TVモニターを使わせている)、

「教場」は、ほんの少ししか観られず。

イラッ

 

ワタシは買いたいものがあり、

コドモは「レゴストアのレゴで遊びたい」

オットは「カンタベリー(カンタベリー大好き)でも見るか」

「(3人全員の希望の叶うショッピングモールへ)出かけよう」となり外出。

まずはオットにコドモの見守りを任せて、

ワタシはしばし、ショッピングモールをうろうろ。

 

想定より大分早くオットから連絡。

「〇〇(コドモの名前)が、『もういいよ~(もう飽きたよ~の意味)』って」

はぁ~。

そうなると、もう「早く帰りたい」の一点張りで。

志半ばで、何も買えずに帰宅。

イラッ

 

帰宅して、再度、「教場」を観ようとするも、

コドモがうるさくて集中できず、

イラッ

 

そうこうしているうちに、

オットは寝に入る。

 

ワタシは全然お腹がすいていなかったが、

コドモが「おなかすいた~」というので

食事の支度。鍋にする。

 

「ご飯だよ」と言って、寝ているオットを起こす。

鍋のほうはもう配膳すればよいだけになっていたが、

コドモはマイクラをしていて、

オットもそれを側で見ているだけで、

テーブル上を片付ける気配なし。結構散らかっていた。

イラッ

 

コドモはともかく、

オットは「片付けるよ~」って、コドモに促しつつ、

片付けてくれることのほうが多いのに、

何故か、この日は、何もしてくれず。 

 

「片付けて」と言う気も失せて、

ワタシ1人で片付けて、食事の支度。

(しかも、ワタシ、お腹すいてないってば・・・)

支度するも、すぐに食べ始める気配もなく、

オット、コドモ共にマイペースにマイクラを続ける。

 

しばらくして、ようやく食事。

オットが「教場」を観始める。

ワタシは、ドラマは一言一句逃さず、ガッツリ観たいほうなので、

食事しながら、コドモに気配りしながら観るなら、

むしろ観たくなかった(ミステリーだし)ので、観ないようにしていた。

ワタシの様子に気付いたオットが

「観ないの?」と言うので、

「集中できないから、むしろ観たくない」

 「じゃ、こっち(ラグビーの試合)でいい?」

「いいよ」

 

極めつけに、何だか頭が痛くなってきたワタシ

(比喩じゃなくて、本当の頭痛)。

 

もう1日イライラし通しでした。

何1つ思うようにいかなかった。

コドモ1人のマイペースなら大丈夫なんだけど(子供だからね)、

そこに、オットのマイペースも加わると、もう無理!

(大人だからね)

と思うことがしばしばです。苦笑

 

翌日、少し落ち着いて考えたこと 

次の日、コドモが寝ている間に「教場」を浸って観て、

コドモが起きてからも、「もう少し観ていい?」と言って

観て(観させてくれた!)、

最後まで観終わって、ようやくちょっと落ち着きました。

 

やっぱり思うように行動しようと思うなら、

コドモはオットに預けて、1人で出かけるべきでした。

睡眠不足のオットに早起き

(って、ブランチ位の時間)は期待しないほうがいいのかな、とも思うけど、

日曜のブランチと晩御飯位は家族一緒に食べたいと思う気持ちは捨てきれず。

諦めて、日曜の晩御飯だけで、よしとする? 

 

 日曜のブランチに、美味しいパン屋さんにパンを買いに行って

 みんなで食べるのが習慣のようになっていた時期があり、

 その幸せ感が捨てきれなかったけど、

 でも、もう基本諦める。

 そのほうが期待外れでイライラしなくて済む。

 期待するから、期待通りにならない時にイライラするんだよね。

 

欲を抑えること 

買い物したい!とか、〇〇を観たい!とか、

欲を、まだまだ抑えなくちゃいけないんだなぁ。

やれるかも! と期待するから、できない時にイライラするんだ。

 

昔読んだマンガで、こんなのあったっけ。

結核治療をするアスランに医者が言った言葉

まだ若い君のことだ。

どこへ行ってもこころを乱す出来事はあるだろう。

治るまでの間だけでもいい。

喜びも悲しみも、押し包んでしまえるようになりなさい。

風と木の詩 竹宮恵子 小学館

 

これしたい、あれしたい、という気持ちをもうしばらく押し包めるように。

(あぁ、いつまで?)

 

自己犠牲 

2019年ラグビーワールドカップで活躍した日本代表選手の何人かが

全てを犠牲にしてやってきて・・・」という言い方を

していました。

自己犠牲って、最近流行ってない(と思う。流行ってなくてもいいけど)し、

全てを・・・って、なかなか言えない言葉と、思いながら、聞いていました。

それからすると、ワタシは、全然、全てを犠牲にしてるわけじゃないし。

 

こんなのも思い出しました。

 それと自己実現には犠牲がつきものです。「ひとつのことをする」ということは、「あることをしない」ということですから。たとえば、子どもとつきあう時間を大事にしようとすれば、自分のやりたいことをする時間を、ある程度捨てなければならない。そのとき自分が何を犠牲にしているか、できる限り意識するのは、ものすごい大事だと思います。そしてそれこそが自己実現なんだとわかっていることです。でないとわけのわからないイライラがたまってくるんです。 ~中略~

 犠牲というと何かマイナスの感じがしますが、その意味をほんとに理解するときは、そこに深い喜びが生じます。意味がわからずに嫌々するときは、不必要に疲れたり、腹が立ったりするものです。「育児のために自分の仕事が犠牲になる」と父親も母親も考え、犠牲の押しつけあいをしていると、腹が立つばかりですが、その意味がわかると、そこに楽しみや喜びを見出せるものです。

こころの子育て[誕生から思春期までの48章]河合隼雄著 朝日新聞社刊

でもね、河合先生、その意味をほんとに理解というのが、

ワタシには、まだよくわからないんですよ~と叫びたい。

コドモの成長がものすごく嬉しい、とか、そういうこと?

違うような気もして・・・。

いつか、わかる日がくるんだろうか?

 

本当は、誰も犠牲になることなく、

あなたも生きるし、私も生きる、が、

いちばん、素敵だと思うんだけど。 

 

期待しないこと 

とりあえず、もう少し、イライラしないようにはしたいので、

当面、日曜のブランチは諦めることにしよう。

買い物、ドラマ観たり、は、もしできたらラッキーと思うことにしよう。

(全て思う通りにはいかないけど、たまに、できることもあるし、

以前よりは、できるようになってきているのだから)

 

と思い、オットに、

「日曜日、用事のある日は別だけど、

何もない日はもう朝起こさないね。好きな時間に起きればいいよ」

と言いました。

 

「うん」

 

付け加えで、

「本当は、少しでも、コドモと一緒に時間を過ごして欲しいって、

ワタシはず~っと思ってるけど、でも、できないんでしょ?」

 

「うん」

 

ということなので、期待するのはもうやめます。

 

バトルの末に、ツーオペ育児をかちとった、みたいな話を聞くと、

もっと、戦ったほうがよいのか、とも思ったけど、

オットもギリギリでやってるから。

 

オットに、「勤務先替えたら?」とも思うけど、

「早く、住宅ローン返したい、その為には、今は転職しないほうがいい」

というのがオットの判断なんだよねぇ。

その気持ちは有難いことでもあり。

 さらに、その仕事をオットは気に入っていないというのが

 全然浮かばれないよねぇ。

 気に入っているのなら、また応援する気にもなるのに。

 

でも、コドモが小さいのは今だけで。

例えば、ワタシがもしオットの立場だったとしたら、

朝のわずかな時間であっても、

もっとコドモとコミュニケーションとろうとするだろうなと思うと、

そうではないオットに、やっぱり、ちょっとガックリするんだよね。

ワタシがお願いして、やってもらうのと

自発的にやってもらうのとで、全然違うんだよね。

言わなくてもやってほしいんだよね。

でも、そこは、オットとワタシとで感じ方や方法が違うってことなんだろうなぁ。 

感じ方や方法が違うし、

自分基準で同じことを期待してはいけないんだろうなぁ。

オットなりに、コドモをかわいいと思っているだろうことには

疑問の余地はないから。

 

【ゲシュタルトの祈り】
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃないじゃないでしょう。
私は私。あなたはあなた。
でも、偶然私たちが分かり合えるなら、それは素敵なこと。
たとえ分かり合えなくても、それもまた同じように素晴らしいこと。
フレデリック・パールズ(心理療法の1つである、ゲシュタルト療法の創始者)元はドイツ語で、訳者は不明です

 

遠洋漁業に出かけ、家を長く空ける夫の妻を見習って、

単身赴任で、家を長く空ける夫の妻を見習って、

夫に感謝しつつ、

コドモとオットがいっしょに過ごす時間が増えることを期待することなく、

日々過ごすことが最善策か。

 コドモとオットで時間を過ごして欲しいというのは、

 そうすると、結果的にワタシの自由時間が増えることになるだろうから、

 それで嬉しいというのもあるけど、

 それはさておいて、とにかく、2人に関係を作って欲しいというのが

 いちばんの理由です。

 そのほうが、コドモもオットも嬉しいでしょう? と思っているのです。

 

ワタシの自由時間問題に関しては、オットがよく、

「『妻の実家に婿養子(の3世代同居)世帯』がいちばん子育てしやすいよ」

と言っていましたが、あぁ、本当に。

でも、それは今更無理なことなので、

自分とオットだけが頼りです。

そして、オットに期待できない分は自分だけが頼りです。

 

とりあえずの結論 

コドモが成長していく過程で、

ワタシが思うことと、

オットが思うことは、違うし、

家のローンを返し終わった時に、

ワタシが思うことと、

オットが思うことも違うでしょう。

でも、それこそ ONE TEAM でやっていきたいと思うのです。

 

自分をなだめたり、すかしたりしつつ、

毎日少しずつ進むしかないようです。

とりあえず、日曜はオットを好きなだけ寝かせることに決めて、

ワタシがどう感じるか、ちょっと、実験してみます。

 

あ。「ワタシがイラッとして何か話してても

イラッと返さないで」というオットへの願いは守ってくれてました。^^

(その話はこちら

 

スライムとエンダーマン(コドモ作)

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