養老孟司さんの『子どもが心配』を読みました。
こちらの本です。
養老孟司さんと、日常子どもに接している4人の識者との
対談をまとめたものです。
今回は、
小児科医の高橋孝雄さんとの対談部分から。
高橋さんはこちらの本を書かれたかたです。
本自体はワタシは読んでいません。立ち読みは少しだけしたことあります。
負け続ける育児、いつか負ける競争、幸せの先送り
印象的なフレーズを。
ネット(の自分より少しレベルの高い? 正しい(ように見える)育児情報)に
頼り始めると「負け続ける育児」になる。
偏差値と比べっこを始めると「負け続ける競争」になる。
満点とれば1番だけれど。
子どもに後悔してほしくないからではなく、
親自身が後悔したくないという「後悔したくない症候群」の親もいる。
子ども時代が「大人への準備期間」になって、
「幸せの先送り」が進んでいき、
子どもはいつ幸せになれるのか、実感できない。
全部、なかなかのフレーズだと思いました。
自足
養老 私は最近、「自足」という言葉をよく使います。「自らを満たす・充足させる」という意味合いで、この「自足」の状態を悟っていないと、人生はなかなか上手くいかないものでしょう。
~略~
高橋 なるほど、実に興味深い話です。それでは養老先生は、日本という国が自足するためには何が必要だと考えますか?
養老 何もかも手に入るわけではないけれども、生きているだけで満足できる。そんな状況を、生まれてくる子どもたちに対してつくってあげないといけないでしょう。何も難しいことではありません。親が子どもに対して「あなたたちが元気に飛び跳ねていてくれればいい」とさえ、願えばよいのです。
子どもが心配 養老孟司 PHP新書 以下同じ
病気や何かで飛び跳ねられない子どももいるでしょうから、
(心が)元気であってくれればいい(凹む時もあるだろうけど)と願うだけでよい、
と読みかえました。
養老さんは子どもが心配、というよりは、
子どもを取り巻く親(や大人社会)の様子が心配、という感じに思えました。^^
養老 子どもたちの日常の幸せを、まず考えてやらなければなりません。
養老 私が教育に望むのは、子どもが幸せになる社会を作ってほしい、それだけです。
成熟した大人とは
養老 現代人は「成熟した人間の姿」がわからなくなっているような気がします。子育ての目標を進学や就職とリンクさせすぎるために、本来目標とするべき「成熟した人間像」が思い描けないのかもしれません。
~略~
高橋 「成熟した大人とは、共感する力のある人」だと、私は思っています。
成熟した大人ってどういう人か
突き詰めて考えたことがなかったのですが、
性格が大事! というのは思います。
仕事をするにも家族として一緒に暮らすにも、
大まかに言うところの性格のいい人のほうがいいですもんね。^^
「共感」能力については、
第3章の対談相手の小泉英明さん(脳研究者)も
「「共感」能力、温かい心を育むことが教育の最終目標である」と話してらっしゃいます。
「性格のいい」の定義も難しいですが、
大雑把に言って、性格のいい大人に育つように・・・、というのは
大きな目標、というか、目指す方向性だな、と改めて思いました。
性格がよくないと幸せにもなりにくい?
なれない、と断言してもいいかな?
と思いますもんね。
自立とは何か?
養老 漱石が苦悶の末に気づいたのは、「自分の書きたい文学論は、講義や書物にはない。ゼロから自分で考えるしかないんだ」ということです。その瞬間、漱石は自立したんだと思います。
別の章からですが、
養老 大事なのは、誰かに教えてもらうのではなく、自分自身で突き止めたい何かを見つけ、意欲的に取り組めるかどうか。そこが、何かに夢中になれる人と、なれない人の違いでしょう。
情報を集めたり、教わったりするのも
一定程度大事なのだろうけど、
自分が幸せでありたいなら? 何かしようと思うなら?
自分で考えるしかないし、
自分自身から湧き上がってくるものっていうのが
本当に大事なんだな、と思いました。
他にも、
バトルゲームばかり(←現在小3の我がコドモも該当か?)では心配、
といった話から
早期教育についてetc.etc.
いろいろな話題が出てきますので、
ご興味あるかたはご一読を。^^