しばらくモヤモヤしていました。
それとは別のところで引っ掛かった新聞の投稿記事をまず。
小学校の同級生から手紙が届いた。89歳になった担任のY先生から頼まれて私を捜していたこと、先生が私に謝りたいことがあると話していることがつづられていた。
50年前、6年生の遠足で地元・福島県いわき市から福島第一原子力発電所を訪ねた時、私が何度も聞いたという。「先生、原発って絶対安全なの? 僕は怖いんだけど」。 あの時の私の瞳が忘れられず、事故が起きた時、なんちゅう間違いを教えちゃったのかとどれだけ後悔したか、と。
~略~
時の政治や国策から教育だけが独立を保持することは難しい。Y先生のように自責の念を抱え続ける人々の良心に、社会は支えられていることを忘れてはならないと思う。
2021年8月18日付け朝日新聞 塾講師 藁谷雅喜さん
戦前戦後で価値観が180°変わったであろう時を生きた
先生と生徒etc、教える・教えられるの関係にあった人たちは、
その転換をどう消化していったのかな?
という長年のワタシの疑問に
【角野栄子さんの記事】「気持ちいいライン」の話 - 好きに暮らす -now or never-
少し答えをくれるような文章でした。
こういったケースばかりではないだろうとも想像しますが。
モヤモヤしていたのは、
最近のDaiGoさんのホームレスのかたに対する発言の話題を
目にした時の自分の動揺についてです。
何だかショックで。
そのショックを大きくしていたのは
当ブログに幾つかDaiGoさんの言葉についての
記事を書いていたから、という部分だと思います。
めんどうくさいを味方にする方法 - 好きに暮らす -now or never-
DaiGoさんの今すぐ捨てるべきものTOP5から3つ - 好きに暮らす -now or never-
ショックだったのは確かなんだけど、
自分がどれくらいどういうことを感じているのか
感じたらいいのか、ちょっとうまくわかっていませんでした。
冒頭の新聞記事を読み返すうちに、
不意に、DaiGoさんのことを思い出し、
あ~、申し訳ない気持ち・・・と腑に落ちた感じがしました。
①自分が、今回問題になったような発言をする人の言葉を
外に向けて紹介していた(弱小ブログだけどもさ^^)ことに
対する申し訳なさみたいなもの
②一方で、ある一連の発言でその人全てとか、
他の全ての言葉までもが力をなくすわけでもないハズという気持ち
があるのだけど。
以前のマグちゃんの記事にも同じような感覚を持ちました。
【宮本製作所】マグちゃん「洗剤使わず洗濯」根拠なし事件 - 好きに暮らす -now or never-
続【宮本製作所】マグちゃん「洗剤使わず洗濯」根拠なし事件 - 好きに暮らす -now or never-
何とも居心地の悪い感覚・・・。
どちらのケースも全記事削除しちゃったほうがいいのかな、
と頭をよぎったり・・・。とりあえず削除はしていませんが。
外に向けて何かを発信する、何かを紹介する、
教える、意見を言うことも、
常にこういうことが起こり得る、ということなのだろうな、
と思うと、ちょっとビビっちゃうけど、
そこを抱えたまま進むのが大事なのかなー・・・。^^