ジェンダー問題が話題になる中、タイトルの本を読みました。
- 脳機能に性差はないが、機能の選択に性差
- エリートor大器晩成の開拓者orエリート開拓者
- 失敗を恐れない子にするために
- 苦手なことに『新たなものの見方』が
- 男としてカッコ悪い?
- 母が人生を謳歌していれば大丈夫!
黒川伊保子さんは脳科学者で、脳科学の知見をもとに、
ひとり息子を育てたという方です。
脳機能に性差はないが、機能の選択に性差
脳に性差はない、という説も見聞きされるし、
性別でカテゴライズすることに論争が生じがちな今日この頃、
どういう展開で書かれているのかな~? と思って読んでみました。^^
出だしの第1章で、
「脳に性差はない」という説があることに触れつつ、
脳に搭載された機能は確かに同じ。
ただ、とっさにどの機能、回路を使うかの選択に差がある。
というように書かれていました。
ざっくり言って、
男性脳:とっさに「遠く」「客観」を選ぶ
女性脳:とっさに「近く」「主観」を選ぶ
というもの。
ただし、男子が「女性脳型」という場合も一定の割合で起こり、
それはそれで、
主観優先の男子は、「美意識の高い、天才型」。宝物を手に入れたようなものだ。
『息子のトリセツ』黒川伊保子 扶桑社新書 以下同様
とありました。それも素敵^^。
逆のケースもあることでしょう。
ワタシの息子小1は一応、男性脳的かな、と思っているので
その目線で読んでいます。
エリートor大器晩成の開拓者orエリート開拓者
黒川家では
子どもが(何か興味をひかれるものに)出逢うまで待ち、
失敗させる。という方針だったそうで、
ここらへんは我が家も同じ考えです。
(黒川さんは基本、母の好きなように育てるのがいちばんよい、との主張です。)
そして、記事を書いていくうちに思ってしまいました。
『息子のトリセツ』、我がコドモは男性脳、
というスタンスで読み始めましたが、
娘がいたとしてもワタシ、同じ方針で育てているかも? って。
うん。多分そう。^^
『娘のトリセツ』という本も書いてらっしゃるので
それと対比して読むとよいのかも??? です。
要領よく詰め込んで、さっさと偏差値を上げて、責務に邁進できるエリートを作り上げるという手もあるが、じっくり時間をかけて、失敗をゆるし、開拓者・開発者を育てるのも、また、賢母の道である。
どちらを選んでもいいが、後者は大器晩成。ママ友のマウンティング合戦では、けっこう負けが込む。そこを気にしない精神力も蓄えておこう。
とはいえ、ときには、じっくり時間をかけて、失敗もゆるし、開拓者を育てたのに、ついでに成績もよくて、あれよあれよとエリートになっちゃった、という人材もいるから、びっくりだ。親子にキャパがあれば、両方を目指せる。
黒川家みたいな方針でいって、
もしもコドモが大器晩成してくれたら万々歳なのであって。
小器かつ晩成って可能性も十分あるわけだけど
(そこは親の遺伝子の組み合わせの妙は大きい
と思っていますよ、ワタシは^^)
それでも、そっちの方針です。
黒川さんの息子さんは大器晩成の開拓者・開発者に
育ったと書いてある本でもありますが、
元々の遺伝子の妙の力もだいぶありますよねぇ。。。と思います。
要領よく詰め込んで、さっさと偏差値を上げるっていうのも
子どもにそれなりのセンス・能力が必要だと思いますしね~。
後、失敗させつつ、ついでに成績もよい、というのも十分あり得る、
両立できる、とも思います。
子どもにセンス・能力があれば~、の前提で。^^
以下、我がコドモが遺伝子の妙は持っていないとしても、の話。
失敗を恐れない子にするために
失敗させるということについて、
女性脳は、潜在的に失敗を恐れるように設定されている。
子育てに失敗は許されないからだ。狩りに出ていく男たちは、失敗しても自分が死ぬだけだ。遺伝子は残せる。女が子育てに失敗したら、未来が断たれる。 ~ 失敗に対する恐れには、男女差がある。
このため、「失敗を恐れずに果敢に成長しなければならない男性脳」の最初のブレーキが「失敗を恐れる母親」になってしまうことが、ままあるのである。
これも、まぁ、あくまでも傾向の話なのか、
理由も、そう断言できるものなのかどうか、
よくわかりませんが、
我が実家と我が家にはあてはまっています。
母は心配性で、父はケセラセラタイプ。
ワタシよりはオットのほうが大らか。
ワタシが失敗を怖がったり、心配したりするような
発言や空気を出さないようにしないとな~、
と思いました。^^
母が恐れてると子どもも恐れるようになり勝ち・・・。
失敗は無駄遣い? - 好きに暮らす -now or never-
短い文章でこうまとまってました。
志高く、結果に無頓着(失敗にビビらない、他人の評価を気にしない)。ただし、失敗にはちゃんと心を痛める。夜は清々しい気持ちで寝る。
苦手なことに『新たなものの見方』が
そして、苦手ということについて
~ 小さいうちは、どれがその人に似合うかわからないから、学校はすべてを教えてくれるの。ものの見方をいくつも手に入れること。勉強は、そのためにする」
ものの見方を手に入れるために、学ぶ。
こう決めておけば、苦手な教科ほど、無視できなくなる。そこに、自分の持っていない「新たなものの見方」があるからだ。挫折も多いほうがいい。ものの見方がさらに深まるからだ。
という部分、ナルホド~と思いました。
基本的には、ワタシは得意分野を伸ばす方向重視の考えだったのですが、
苦手な分野だからこそ、新たなものの見方がある、
というのは、確かに、そういった部分もあるな~と。
バランスですかね。
男としてカッコ悪い?
とまぁ、大筋で納得しながら興味深く読みましたが、
1つ、ワタシはそうしない、と思ったこともありました。
それは、
「男としてカッコ悪い」 という言葉を使ってコドモを育てること。
これは、しばらく前までのワタシの中ではアリだったんですが、
考えが変わりました。
大人になった段階では、
何性であろうとも、カッコいいものはカッコいいし、
カッコ悪いものはカッコ悪いかな、って今は思っています。
「人としてカッコ悪い」はアリかな。
( ↑「それでは人間以外の動物を差別していることになるゾ」と
オットからツッコミが。笑)
黒川さん自身、次のように書かれています。
おとなになるとは、男女共に、主観も客観も手に入れるということだ。
「素敵なおとな」は、男であろうと女であろうと、「遠く」(客観)と「近く」(主観)をバランスよく使い、責任感のある果敢な戦士でありながら、愛のことばや慈しみの所作を惜しまない。
世の中が全員、そんなおとなになってしまえば、「脳に男女差なんてない」と言い切ってもかまわない。
母が人生を謳歌していれば大丈夫!
最後に
母である人の人生を1ミリも否定したくないから。
母が人生を謳歌していれば、息子はそれなりに魅力的に育つ。 大丈夫。大丈夫。
まさに。いろいろあるだろうけど、最後は
子どもに愛を伝えることと、母自身がちゃんと生きること。
これに尽きるのかな、と。^^
以前、こちらの本も読んでいて、かぶる内容も随分ありました。