NOW OR NEVER

50歳にして6歳の子育て真っ最中、兼業主婦の雑記ブログです。

9月入学論議で思ったこと

9月入学という選択肢が話題になりました。

 

今から、キレイごと(かもしれない?こと?)書きますよ~。^^

 

ワタシは、小1の一人っ子の母親で、

新たに教育資金問題が発生してしまう、とかもなく、

どんな結論になっても、まぁ、

決まったことに粛々と従うだけかなぁ、と思っていました。

強いて言えば、(諸外国から見て)一律に1年遅れになる、

というのは、どうなんだろう? という感想は持ちましたが。

総合的には、4月と9月、両方にメリット・デメリットがあると思うので、

将来的にはどういう方向性を目指し、

現実的には今をどうしていくかを

もっと考えていけばよいのかな、と思っています。

 

ワタシの気持ちは、そもそも

そんなに一律じゃなくてもいいんじゃない?

です。

 

うちはのんびり? 普通に? 公立小学校の指導要領?ペースに

合わせていくつもりだよ~、後はコドモ次第だよ~、という感じですが、

同じ小1でも、どんどん先取り学習をしているような子もいます。

そんな子は、もう飛び級(飛び学年?)しちゃってもOKとか。

 

ちょっと子供の成長が遅めの感じなら、

保育園・幼稚園入園のあたり、又は小学校入学あたりから、

う~ん、下の学年に入れちゃおうかな?

という選択肢もあり、とか。

勿論、入試、就職等で不利にならないことが保障されている状態で、です。

 

あるいは単位制授業みたいなのを増やして、

国語は3年生のレベルを学習してるけど、

算数は苦手なので1年生のレベル、

という風に選べるようになっていてもいいのかな、と思います。

卒業基準が難しくなるかも、ですが、

最終的には一通りの課程を修了するようにする、と。

 

スタンダードな年齢層(何となく6~9割くらい?根拠なし)はありつつも、

もっとバラつきがあっていいような。

そして、ここからが一番の肝なんですが、

そのことを大人も子供もみんな(は不可能でも、とりあえずの大多数)が

普通に受けとめてて

何とも思わなくなっていればいいなぁ、と。

特に小さなうちの成長の早い遅いをあまり気にしない

という風になっていればいいなぁ、と思います。

 

 競争や人との比較は大事で、それによって成長する、

 という面もあると思っているので、比べてもいいんだけど、

 どんなに差があったとしても、

 人として尊重されるべき大事さ、かけがえのなさはみんな同じ、というか。

 

子供にしてみれば、よくわからない授業

又は簡単過ぎて面白くない授業を

とにかくその場に座って聞かざるを得ない状況、

それと同時に

「この子は他の子より劣っている、ダメな子」という目線を

外から投げかけられることは本当にツライことなんじゃないかな

と思うので。

 

知人に3月生まれの子供を持つ親がいます。

幼稚園入園前からずっと

「うちの子は人より1年遅れ、という目で(あたたかく

見てやらないとダメだ」って言ってて、

確かに小さい頃の1年の差は大きいけれど、

成長してしまえば、そんなに差はない、です。

立派に成人しました。

 

 それでも、例えばスポーツ界で

 早生まれとそうでない人とで、

 統計をとると明らかに差が出る、とも聞くので、

 厳密には差はできやすくて、

 そこは指導者や大人側の配慮も重要になってくるのかな、と思います。

 

 余談。ワタシも3月生まれですが、

 知能検査で得したな~と思ってました。

 同程度に問題ができた場合、月齢が低いほど、

 知能指数は高く判定される、と聞いていたので~。^^

 

自分の周りのできる子達を見て、子供自身で

「あぁ、僕・私はこの部分が人よりできない」と

感じることはあるだろうと思いますが、

それでも、周囲の大人が、人には得意不得意があって、

それぞれに自分を生かし幸せに生きる道がある、

と思っていれば、子供の受けとめかたもだいぶ違うように思います。

 

 TV番組「東大王」に出てらっしゃるような東大生のかたを拝見すると、

 やっぱり自分なんかとは、まず生まれついての出来からして

 違うと思いますもん。

 でも、だからってワタシが全然ダメなわけじゃない(ハズ^^)。

 それぞれの生きる道があるって。

 

新型コロナによる教育格差や9月入学の話題を聞いて、

大人のほうで「みんな一緒じゃなければ。

我が子が人より遅れるようなことがあってはならない」と

いった意識が高めな場合が

少なからずあるのかな~というような印象を持ちました。

 

 以下、我が子の学習が遅れることを心配する親の気持ちは理解できる

 (例えば、入試が差し迫ってて、我が子の(又は自分の)学校だけ

 試験範囲が全然終わってない、とかになると、

 やっぱり普通に心配になるかなぁと思います)ので、

 度を超すと、という話です。

 

度を超して「みんなから遅れないように」と考えるような大人ばかりに

囲まれていたとしたら、

子供も、こう感じるようになる可能性はより高くなるだろうな、と思います。

「みんなと同じにできない僕・私はダメな人間なんだ」

逆に

「僕・私はこれができるからエラくて、

できないあの子はダメな人間なんだ」って。

 

年齢の枠組を取っ払い過ぎると、

純粋な人口動態で生徒数を把握したりしにくくなるので、

実際、運用しようとすると大変なのかな~とも思いますし、

細かいところまでは突っ込んで考えていないので、

あまり突っ込まないで頂きたいのですが。^^

 

しばらく前の朝日新聞にこんな記事が載っていました。

 19世紀に始まった近代公教育は、年齢で子どもを区切り、全員が同じカリキュラムを同じペースで学ぶシステムを発明しました。これにより人々の識字率は格段に上がりましたが、実は国の近代化のため、上質で均質な兵隊や労働者をつくる目的に利用されたという側面もありました。

~中略~

 哲学的には、教育の本来の目的は、すべての子どもが将来「自由」に生きられる力を育み、社会では互いの自由を尊重し合うことを学ぶことだと言えます。その出口に向けて言語や数学などの基礎的な考え方の習得は必要ですが、そこへ至る道はそれぞれ違っていい。時間割やペース、教材は必ずしも「みんな同じ」でなくていいのです。

教育哲学者・熊本大学准教授 苫野一徳さん 2020年4月24日付朝日新聞 

 

こないだ、手加減なしで普通にコドモに負けました。

まだ1敗だけ、ですが。^^ 

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