こういうところに引っかかってしまう。
3月8日国際女性デー(ミモザの日)に放映されていた
山崎豊子さん原作「花のれん」というドラマ(テレビ朝日系)。
現・吉本興業さんの創業者・吉本せいさんをモデルにした小説が原作…
という部分で、興味を持って、観ていた。
吉本せいさんをモデルにはしているけど、かなりフィクションとのこと。
内容をさて置いて
いちばん引っかかったこと。
TVの場合、CMに入る前に
端のほうに簡単なテロップのようなキャプションのような
ちょっとした文言が入る場合がある。
その部分に、ドラマについて
「女性の生き方の令和モデル」
というような言葉があって(多少違ってるかもしれない)
それが気になったー。
令和モデルって…。
このドラマのヒロインの生き方は
生き方のモデルの1つにはなり得るだろうけど
令和を生きる全女性が目指すべきモデルってわけではないよな~
って思って。
モデルって、模範・手本または標準となるもの、って意味合いがある…。
ものすごく要約して言うと
ヒロインの生き方は
結果的に、自分の子どもを他者にかなりの時間預けて
仕事を頑張る生き方、と受け取れた。
自分をどう生かすかは
それぞれの判断だから
そういうやり方もアリだし
仕事に邁進することが素晴らしいということに反対はない。
母の、子どもへの思いはあって
最終的には、子どもにも母の気持ちは通じてる
という描かれ方だった。
けど、それが全女性が参考にすべきモデルってわけじゃない…
と思っちゃったんだけど。
やっぱり、日本語は省略が多くて。
『(ドラマの)ヒロインの生き方は女性の生き方の令和モデル』
と言われると
『(ドラマの)ヒロインの生き方は女性の生き方の令和モデルである』
と断定的で
『だから、みんな目指そうね!』とまでは言われてはいないけれど
ニュアンス的には、そういう雰囲気が醸し出されてくるような…。
それは、ワタシの読解が飛躍し過ぎてる?
『ヒロインの生き方は女性の生き方の令和モデルの1つ』
と言われれば、それで十分納得できるのだけど…。
とは言え、『の1つ』なんて付け加えてたら
インパクトが弱くなって
CMに入る前の文言としては使えないのだろうと予測する…。
だから、ワタシは、自分を守る為に
勝手に『の1つ』を補って読むようにする…。
一応、ヒロインのたくましさ的な部分というか
メンタル的な部分にフォーカスして
その部分を女性の生き方の令和モデルと
言いたかったと解釈することもできるか…。
繊細さん(=HSP)要素を一部持ってるなーなんて
自覚してる自分からすると
繊細さんって
相手の言わんとすることや
時代の空気感etc. 敏感に受けっ取っちゃう部分あるだろうと思って
それは美点でもあるハズと思っているけど
うっかりすると、自分の気持ちがかき消されそうになってしまう。
時代の空気はものすごく曖昧なもので
移り変わっていくもので
誰かが戦略として作り上げてるだけのものかもしれなくて。
そういうものに取り込まれないで
自分を世の中にどう活かしていくかは
自分で決めていくっていうのが本当に大切…
と、また思わされるようなドラマの言葉だったなー。