『母親になって後悔してる』という本が話題になっていました。
こちらの本です。読んでないです。
新聞でも取り上げられていて
ーーあなたは、「今の知識をもって過去に戻れるとしたら、また母親になりたいか」という質問に「ノー」と答えたイスラエルの母親23人にインタビューし、その記録を「母親になって後悔してる」(邦題、新潮社刊)にまとめ、日本でも話題になりました。何を書きたかった本ですか。
親にならない選択をしたり、自分が親に向いているのかどうかを熟慮する余地もなく親になり、その選択を後悔したりすることが、社会の中でタブー(禁忌)として扱われている現状を変えたいと思いました。
2023年4月23日付け朝日新聞から 以下同じ
イスラエルはユダヤ人大虐殺といった歴史的な背景もあり、
子だくさんへの期待がとても強い国とのことです。
記事全体をふむ、と読んだ中で
一番???と思った部分です。
ーー母になったことを後悔すると、なぜ激しく非難されるのだと思いますか。
社会は女性のことを生まれながらに「ケアする存在」と見なしているし、女性をそういう枠に押し込めておくことが、ケアを免除されている人たちにとっては、都合がよいからです。
というのが、本の著者、オルナ・ドーナトさんの回答でした。
イスラエルでは日本以上にそういう側面が強いのかもしれませんが
ワタシはそこまでは考えていなくて、単純に
『母になったことを後悔=子どもの存在の否定』
と受け取られやすいから、その発言は非難されやすいし、
母からしたら言いにくい、ということが
一番大きいんじゃないのかな、と思いました。
心理学で、
親による、子どもの存在全否定の言葉(あなたなんて生まなきゃよかったetc.)が
どれだけ子どもを傷つけるかを学んできた
(それが万人にあてはまる説なのかどうかも最早よくわからない部分があるが)
身としては
子どもの立場からしたら
『母親になって後悔してる』なんて
『あなたなんて生まなきゃよかった』と同じ破壊力がある
ように感じます。
『母親になって後悔してる=子どもを愛していない』ではない、
といったニュアンスで、上述の本にはあるようだけど
それを子どもを傷つけずに伝えるのは難しそうだな、と思います。
と思っていたら、
そういう母親の後悔の気持ちに共感できる、と、
子ども(ワタシが見たのは女性)の立場でサラッと?
言ってるような人もいて、そうなってくると、
ちょっとワタシの知識や実感とは大分離れた感覚に
ある人もた~くさんいらっしゃるのかしら~と思ったりして。
私の研究に参加した女性の一人は70歳を超えていますが、やはり「後悔している」と語っています。彼女は、自分の子どもを愛しています。でも母という役割を担うことと「自分の人生を謳歌できた」と心から実感できることは別です。
フラットな質問ですが(ネガティブな意味は込めてない、ということ)
この70歳を超えた女性は、
自分の子どもの世話を誰かに100%肩代わりしてもらえていて
なおかつ子どもに自分の近くにいてもらえていたら
自分の子どもを愛せて、
さらに自分の人生を生きられた、と思えたのかな?
100%ではなくても50%くらいだったら?
何%くらい肩代わりしてもらっていたら
子どもも愛せて、自分の人生も生きられたと思えたんだろう?
ワタシだって100%世話してるわけじゃない…。
人それぞれ違うのだと思うから、
自分や子どもや家族、社会の、その割合をうまく見つけて、
実現していけるようだといいのかな、と思います。
ワタシは母親になって後悔ないです。
よくぞこの子に会わせてくれた! という感じ!
こういった本が話題になったりすると
『後悔してない』と言うことが
逆に言いにくく感じられる(いい母ぶってる、みたいな感じとか?)
ような気分に(ワタシは)陥ってしまうから。あえて。
マスメディアの影響って大きいな~(人によるだろうけど)と思います。
母親になった(ならされた)ことを後悔してる人もいるだろうし
母親になら(れ)なかったことを
後悔してる人もいるだろうと思います。
ワタシが生きている50余年の間にも
ずいぶんと世間や常識的なことも変わってきたような気がするけれど
なるべく後悔しないように、と思うなら
ほんと、世間の話は世間の話として聞きつつも
自分自身はどう思ってるのか? をしっかり持って
人生選択していくしかないかな~というのが最近の結論です。
そして、その選択が自分の正解になるように
やっていくしかないのかな~と。
意図的に圧かけてくる人やグループもいるだろうけど
結構、勝手に圧を感じてる部分も大きそうだな~って思う…。
こどもの日の話題には重い話題だったー。