好きに暮らす

短時間パートママが小5男子の子育て中。好きに書いてます。^^

【ら抜き言葉】よけれる・よけられる

コドモとオットとワタシと3人でドッジボール的に遊んでいた時のこと。

 

今回は国語の話です。

 

コドモがボールをよけることができたので、

「ボールよけれた~」と言いました。

 

若いかた?^^には何の違和感もないかもしれません。

ワタシには違和感がちょっとあって、

すかさず、「よけれた?」と言い直したのですが、

今度は、オットが、すかさず、

「よけれた、だと、受け身にとられそうだから、

よけれた、のほうが、いいんじゃない?」と言ってきました。

 

一瞬考え、確かに

  

「ボール、よけられた」とだけ言うと、

場面次第で

「僕は、ボールをよけることができた」

   〇〇できた・・・可能

「僕は、A君に、僕の投げたボールをよけられてしまった」

   △△された・・・受け身

等の両方に意味がとれます。

 

「ボール、よけれた」だと、

ら抜き言葉になっていますが、

「僕は、ボールをよけることができた」の意味だと、はっきりわかります。

 

ほんと、今更なんですが、

見る、着る、寝る、起きる、捨てる、来るなど、

ら有り言葉にすると、意味のとりようが複数になり、

ら抜き言葉にしたほうが意味が一つになってわかりやすい場合がある、

ということに、気づきました。

 

例えば、

「見れる」

見ることができる。可能 

誰かに見られる。受け身

 

「着れる」

着ることができる。可能 

自分の服なのに、他の人に着られてしまうとか。受け身

 

「寝れる」

寝ることができる。可能 

誰かに、先に寝られてしまう、とか、

自分のベッドなのに、誰かに占領されて寝られてしまうとか。受け身

 

「起きれる」

起きることができる。可能

誰かに、先に起きられてしまうとか。受け身

 

「捨てれる」

捨てることができる。可能

誰かに、自分が捨てられる、とか、

誰かに、何かを捨てられてしまう、とか。受け身

 

「来れる」

来ることができる。可能

誰かに、先に来られてしまうとか。受け身

恩師が来られるとか。尊敬

 

という感じに意味が複数にとれる可能性がありますが、

「見れる」「着れる」「寝れる」「起きれる」「捨てれる」

「来れる」みたいに、ら抜き言葉にすると、

全部、〇〇できる、の、可能の意味に1択になるんだな~って。

 

ということに、この時気づきました。

 

ワタシ達の世代は、「ら有り言葉」が文法的に正解、

と学校で教えられていて、

「ら抜き言葉」は、日本語の乱れみたいに悪く言われた時期を経て、

その後、歌詞やテロップが、ら抜き言葉で書かれていたりして、

割と市民権を得てきた感じがあり、

最近はどうなっているんだろう?と思って調べたら、

2015年度の文化庁の「国語に関する世論調査」で

「ら抜き言葉」を使う人が多数派になっていたんですね。

 

文化庁は、2020年3月10日現在で、

ら抜き言葉は「言葉のゆれ」状態という見解のようです。

過渡期みたいな感じでしょうか。

www.bunka.go.jp

 

確かに、可能を表現する場合、「ら」を抜いたほうが誤解が少ないし、

文法を習う時にも、理解しやすい、合理的なのかなと思うと、

ら抜き言葉は、今後普及していくのかな、という感じを持ちました。

ということと、ワタシも、まぁ、適宜、ら抜き言葉使っていこうかな、

と思った出来事でした。

 

ま、慣れというのは大きくて、

既に、ら抜きのほうが自然に耳に入ってきて、

言いやすい場合も多いんですが。

 

これから、コドモは、どう学習していくのかな?

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