コドモの卒園前、最後の面談でもう1つ言われたことがありました。
ちょっと書きにくい感じがして書けていなかったのですが、
書いちゃいます。
ママ友を作って下さい
我がコドモのマイクラゲーム時間が長いことへの先生の懸念から始まり、
先生:「近所に(一緒に遊ぶような、コドモの)お友達とかいないですか?」
ワタシ:「そうですね。あんまりいないです」
(あんまり、はワタシなりの婉曲表現)
先生:「ママ友とかは?」
ワタシ:「あんまりいないです。接点がなくて・・・」
と、申し訳ない感じで言いました。
先生:「お母さん自身が人見知りですか?」
ワタシ:「まぁ、そんな社交的なほうではありません」
(人見知りとまではいかないと自分的には思っていますが^^。
それなりに愛想いいですし、
オットには『他人に不快感を与えない』と評されています^^)
先生:「これから小学生になって、PTAなんかもあると思いますから、
頑張って、ママ友作って下さいね」
というような流れでした。
そうですね~という感じで聞いていましたが、
でも、ワタシはあえて頑張ることはしないかな。
こういう風に言われて、
「ママ友作らなきゃ」って無理してもいいことなさそう、と思っちゃう。
子供を立派?に育てる為に正しい方法ではない可能性が高い?
かもしれないので、
大っぴらには言えないケド^^。
もし、こんな風に言われて頑張れる人は頑張ればいいし、
言われなくとも、ごくごく自然にママ友を作れる人は
それはとても素晴らしいと思う
(先生推奨で、世間推奨でもありますよね、多分)けど、
でも、もし、追い詰められるような感覚を持つ人がいたとしたら、
別に、追い詰められなくていいんじゃないかな、と思って。
園、小学校、中学校は、やっぱりまだまだ世界がせまい
(たまたま近くに住んでいたという共通性があるだけ。
受験とかすればまた別かもしれないですが)と
ワタシは思っていて、
高校(一応自分で選んで進学することが多いと思うので)あたりから、
気の合う友達ができてくればいいほうなんじゃないか、
とも思っているところがあります。
勿論、それ以前に出会って、
大人になって、離れて住むことになったりしても、
ずっと絆が続いていく、みたいなこともあるので、
それはまた、とても貴重でかけがえのないものとも思っていますが。
ワタシがママ友を頑張って作ったとして、
そのお子さんとコドモが気が合うかは別問題だし。
コドモのほうから「〇〇君と放課後遊びたいんだけど」と言ってくるようなら、
相手のお子さんや親御さんと相談して
遊べるように配慮する、とかはしたいと思うけど、
まず、ママ友を頑張って作って、そこから、という発想はない、かな~。
人間関係の基本ができて、好きなことがあれば・・・という希望
陰で人の悪口を言わない、嘘をつかない、
弱い者いじめをしない、挨拶をするなど(とりあえず、思いついたもの4つ)、
人間関係の基本中の基本なことができて、
後、自分の好きなことがわかって、それをやっていれば、
友達の輪は少しずつでも拡がるんじゃないか、と思っています。
マイクラやサッカーが好き(我がコドモの例)なら、
それこそ日本のみならず世界中どこに行ったって、
それらを好きな人が少なからずいて、話題にも事欠かないだろう、と、
今現在思っているのですが。
希望的観測過ぎですかね^^。
「みんな仲良く」とか「友達たくさん作ろう」とかが
必要以上に強調されるような感じがあると思っていますが、
そこは目指さなくてよい、と我が家は思っています。
「ママ友作ろうと無理に頑張らない」って、
世間の推奨と違うかもしれないので、
ワタシ、間違ってるのかな~と、ちょっとモヤモヤもしながら。
(でも、オットも首をぶんぶん横に振りながら
「頑張らなくていいよ~」と言うので、そこは救い^^)
数家族かでお付き合いがあって、
キャンプに子供達といっしょに行って楽しかった、
みたいな話を聞くと、
あぁ~、うちはそういうコドモの為の環境作りはできていないな~と
思ったりはするんですけど。
でも、できることとできないことがあるから。
どう育つか・・・?
前回の記事に同じく、
こんな感じに育ちました~って、明るく記事にできることを願っています。笑
マイクラで作った缶詰工場(なんだそうな)。コドモ作。