実力も運のうち。
こちらの本のタイトルです。
↑ 読んではいないです。^^
でも、タイトル読んで、その通り! と思ったので。
教育格差ということが言われます。
厚生労働省(2020年7月17日公表)によると
2018(平成 30)年の貧困線(等価可処分所得の中央値の半分)は 127 万円となっており、「相対的貧困率」(貧困線に満たない世帯員の割合)は 15.4%(対 2015 年△0.3 ポイント)となっている。
また、「子どもの貧困率」(17 歳以下)は 13.5%(対 2015 年△0.4 ポイント)となっている。出典:2019年国民生活基礎調査(厚生労働省)
詳細な計算(税金とか公費とか?)はわかりませんが、
単純に日本の子どもの7人に1人程が年収127万円以下の
家庭に育ってると解釈して
(細かく考えると恐らく違ってくるのだろうと思われますので、
鵜呑みにしないで下さいね。
詳しいかたいらっしゃったらご指摘下さい)、
1クラス35人とすれば5人は貧困家庭育ち、と考えると、
大変なレベルだと感じます。
現状、コドモ小2からそれらしい話は聞きませんが
自分が子どもだった頃には
公立中学40人程クラスで2~3人は
貧困だったのかもしれない、
と今振り返ってみると、思います。(当時はわかりませんでした)
日本の現状を見ていると
ますます格差が大きくなっていく方向に動いているように
感じます。
例えばある程度勉強したところで、
その内容に見合うポスト自体が少なくなっていると、
そのポスト争いに勝ち抜けない、とか、容易に想像できます。
そんな中だから、
我が子にはなるべくよい教育を受けさせてやりたい、
将来は願わくば一定レベルの収入を得られるようになっていてほしい
という親心は当然あります。
一方で、格差がより拡大していった場合、
そうでないにしても
コドモも貧困に陥るかもしれません。
その時はなるべく頑張ってくれ! となりますけれど、
仮にそこそこ稼げるように育ったとして、
違う立場のかたを思いやることのできない人間にはなってほしくないです。
それはもう本当に、心からそう思います。
自分の育ちのせいかなー???
※そういう意味で、
公立でいろんな立場の子どもがいるであろう環境って
いいのかな、とワタシは思うのですね。
肌感覚で、いろいろ感じるだろうから。
と言っても、例えばすごく荒れてる学校へコドモを通わせるか?
と言われると、そこもまた微妙です。
キレイごとを言うなら、
本当は、そこまで荒れた学校を存在させている社会が
宜しくないと思うけれど。
自己肯定感の高い子に囲まれるような環境のほうが
コドモ本人が幸せを感じる可能性が高いだろう、
とか。
内申を気にせずのびのびできる環境とか?
後は、コドモ自身が、
「ここへ行きたい!」と強い希望を持っている学校があったとしたら、
それはやっぱりできるだけ叶えてあげたい、という気持ちもあります。
が、
本当に実力も運によるところが大きい、
(努力というのもあるけど、才能も運、環境も運によるところがかなり大きいと思う)
と思うので、もし運がよかったなら、
運の悪い人に手を差しのべられる人になってほしい。し、
(今後、例えば病気になったり、とかして)運があまりよくなかったなら
手を差しのばしてもらえる社会であってほしい・・・です。^^
ここで※印へ戻る感じ。^^
と言っても、
例えば、超エリート校がエンパシー教育を取り入れ始めている
なんて話も聞く(これはイギリスの話)し、
どんな環境でも思いやりの気持ちは学べるんでしょうけれどね。^^
そうじゃないと世の中意地悪だらけになりますものね。^^
才能運はもう勝負ついちゃってる(もう遺伝し終わっちゃってるという意味)から
後は環境運をね、親としてはどうよくしてあげればよいのかな、
というところなので。。。
まー、何だかんだ、結局のところ、
経済的なことを鑑み、公立中学に進学すると思います
(そんな荒れてるって話もないですし)が
そのこととはまた別に
今のうちからもう少し勉強モードを醸し出しておいても
よいのかな、どうなのかな、
なんてちょっと考えました。
自分や兄、オットの子ども時代と同じ感覚でいちゃいけないのかな、
どうなのかな? って。
コドモよ、キミの未来は一体どんな感じなんだい???
と、まとまりませんが。^^