好きに暮らす

短時間パートママが小5男子の子育て中。好きに書いてます。^^

【小3】鍵っ子デビューをいつにしよう?

昨年末、職場の話の流れで、
「来年(度)はお子さんに学童に行ってもらって・・・

 

サツキさんには勤務時間を延ばしてもらって・・・」

というような話になりました。

とてもよいかたで、全然圧を感じるような言いかたではありません。

有難いお話でもあります。

 

現在小3コドモは、

元々、家が好きな子で

学童は嫌がったので、当初から申し込みませんでした。

入学当時はコロナで全国一斉の臨時休校であったりもした。

 

学童なしでもOKな範囲でワタシは仕事をしています。

長期休暇中は、最初はワタシも完全に休暇、というのから始めて

小2の冬休みから、多少コドモに留守番をお願いする、

という形で少しずつ勤務時間を増やしてきています。

【小2】留守番時間延長! - 好きに暮らす -now or never-

 

冒頭の上司の言葉に

「学童はむしろ卒業の年代になるので

 後は、鍵っ子ができるかどうかなんですよね。

 今、(コドモは)小3で、小3でだって、できる子はできるから・・・」

と返したら、また別のかたから

 

「うちは小1から鍵っ子!」

そのかたもよいかたで、単に事実を話したのだと思います。

 

一瞬、自分勝手に言外の意味を補ってしまって(苦笑)

小3で鍵っ子デビューさせてない自分が甘いのか、とか

ワタシの仕事に対する熱量が足りないのか、

とか、頭をよぎりそうになったけど

 

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確かに、

甘いと言えば甘いし、

熱量が少ないと言うのも事実なのだけど、

でも、

どの段階で鍵っ子デビューさせるかは、

例えば『今時は共働きが普通』という、

何となく、の普通(何が普通かは全く不明だけど^^)との比較ではなく

これまで通り

コドモとワタシ・家族の関係の中で

職場との兼ね合いもあるけど、そういうので決めよう!

と思いました。

 

まぁ、ワタシがちょっと外出しようとすると

「え~っ」となったり

「ぼくも行く」となったりしてしまうので

そういうのを考えると、も少し先か???

 

とは言え、1月か2月早々に、か、勤務地が少し変更になるかも、で

そうなると、電車通勤からバス通勤になる可能性大なので

バス、となると道路事情により通勤時間が読みにくくなって

しまうので、否応なしに

少なくとも鍵は持たせざるを得ない状況にはなるかな~。

 

仕事とコドモという話で思い出した話が。

 

約3年前の記事で、すっごいイライラしてる話。

新年早々のイライラと決めたこと - 好きに暮らす -now or never-

 

の中からの引用。

 それと自己実現には犠牲がつきものです。「ひとつのことをする」ということは、「あることをしない」ということですから。たとえば、子どもとつきあう時間を大事にしようとすれば、自分のやりたいことをする時間を、ある程度捨てなければならない。そのとき自分が何を犠牲にしているか、できる限り意識するのは、ものすごい大事だと思います。そしてそれこそが自己実現なんだとわかっていることです。でないとわけのわからないイライラがたまってくるんです。 ~中略~

 犠牲というと何かマイナスの感じがしますが、その意味をほんとに理解するときは、そこに深い喜びが生じます。意味がわからずに嫌々するときは、不必要に疲れたり、腹が立ったりするものです。「育児のために自分の仕事が犠牲になる」と父親も母親も考え、犠牲の押しつけあいをしていると、腹が立つばかりですが、その意味がわかると、そこに楽しみや喜びを見出せるものです。

こころの子育て[誕生から思春期までの48章]河合隼雄著 朝日新聞社刊

 

そして、その頃のワタシの気持ち。

でもね、河合先生、その意味をほんとに理解というのが、

ワタシには、まだよくわからないんですよ~と叫びたい。

コドモの成長がものすごく嬉しい、とか、そういうこと?

違うような気もして・・・。

いつか、わかる日がくるんだろうか?

本当は、誰も犠牲になることなく、

あなたも生きるし、私も生きる、が、

いちばん、素敵だと思うんだけど。 

 

現在、ほんとに理解しているかはわからないけど

喜びが生じてくる感じはわかるような気になってきました。

ちょっとうまく言語化できないので、

またいつかできそうだったら書こうと思いますが。

 

ワタシに外出させてくれないのはまだまだ不満だけど

服とか、ゆーっくりゆーっくり見たりしたいんですよ~。

 

確実に手はかからないようになってきていて

家にいる間、ワタシにはフリーな時間がかなりあるし

コドモは必ずそのうち大人になるんだし

望まれてる間は

なるべく物理的な意味でそばにいてやろうじゃないか!

という気持ちにもなっている今日この頃なのでした。

オットが一定程度稼いでくれてるからできることであって、有難いことです。

 

実家は鍵をかける、という概念がない(=鍵をかけない)田舎で、

即ち、『鍵っ子』っていう概念もなかったなー。