角野栄子さん(児童文学作家・『魔女の宅急便』の原作者)の
お話が新聞に載ってました。
「気持ちいいライン」を軸に
もう全部引用したい位、そうそう! と思いながら読みました。
~前略~ 私には「気持ちいいライン」ってものがあるんです。作品にも生活にも、自分のありようにも。
例えば、お茶はペットボトルのものでなく、ちゃんと淹れるのが気持ちいい。今日は私の好きなイチゴ色のワンピースと眼鏡を着けているけど、15ぐらい持っている中から洋服に合う眼鏡を選ぶのも、変わらず続けています。そうやって色で遊ぶことは日常で大事にしたいの。 ~中略~
私は戦争を経験したので、外からの情報というものをいったん疑う気持ちがあるんです。「絶対に日本は負けない」ということ以外は存在せず、考える自由がないというのが、どれだけ苦しいことか。だから押しつけがましい作品は、私は絶対書きたくないのです。これも私の「気持ちいいライン」ね。 ~中略~
「ライン」をしっかり握って自分の感受性を大切にする姿勢は、いつでも必要だと思います。 ~後略~ (聞き手・藤田さつき)
耕論 新型コロナ 揺らぐ日常を生きる 2020年5月19日付朝日新聞より
文章全体の主旨としては、自分の「気持ちいいライン」を軸に
日常を生きてますよ、という内容(とワタシは理解)で、
それは、ワタシもそうしたいな、と思う内容です。
「色で遊ぶことを日常で大事にしたい」というのも
心惹かれた部分です。
押しつけがましさ
中でも、ワタシが一番、そうそう、と思いながら読んだのは
『押しつけがましい』のあたりでした。
私も、外からの情報、例えば、
多数派からの情報(意見)であっても
あまりにもAだけが正解だ、と言われると、
本当にそれだけが正解なの? と疑ってしまう、
みたいな部分があります。
自分で、アマノジャクなのかな? ひねくれものなのかな?
もっと素直になったほうが自分は成長できるのかな? と
思ったりすることもあって、
その疑う気持ちが出てしまう自分を全面肯定もできずにいたのですが、
おぉ~、角野さんもそうなのか~と思ったら、
ちょっと勇気づけられました。^^
私は戦争は経験していません(50歳なので、勿論経験してないです^^)。
ですが、「終戦後、教科書は黒く塗りつぶされた部分でいっぱいになった」と
小学生位? で習った時に、
「それまで正しいと思っていたことが実は間違いだったと知った時に、
当時の人達はどんな気持ちだったのだろう?」と
ものすごく衝撃を受けた覚えはあります。
例えば、『絶対に日本は勝つ』と、それが正しいと
信念を持って教えていた先生と
教えられたことを素直に信じてきた生徒は、
それが覆ったときに、双方それぞれどういう気持ちだったんだろう?
お互いの信頼関係はどうなったんだろう? って。
子供ごころに、それは大変なことなんじゃないかと思いました。
経験してないので、よくはわかりませんが。
父(終戦時10歳)にストレートに聞いた記憶もあります。
(父はあんまり上手に言葉で説明してくれなかったように記憶しています)
その後、これだけ生きてくると、
科学が進歩して、かつての常識が今では非常識、といったことや
政策が覆るようなこともいろいろと経験し、
科学も政治も教科書も、いろいろなことは間違っていたり、
もっと後になって証明されたりする場合がある、と学びました。
だから、「本当にそうなの?」とツッコミ気味で情報を仕入れたりするし、
絶対にこちらが正解! というような書きかたには
ワタシは押しつけがましさを感じて、
反発心が出ちゃうんだな~と、納得しました。
こちらの記事で書いた反発心を思い起こしながら、書いています。
ワタシが腹が立つ文章と素直に読める文章 - NOW OR NEVER
ふふふ
文章が綴られた最後、同記事は
ちょっと偉そうかしら。もう85歳だからと思って聞いてちょうだいね。ふふふ。
と締めくくられているのですが、
その締めくくりかたが、また、もう絶妙!
こうお話された角野さんも素敵だし、
この部分をちゃんと記事に盛り込んで,
ふふふ。で記事を終わらせていらっしゃる聞き手のかたもセンス抜群!
と思いました(上から目線な感じの書きかたになっていたらスミマセン)。
ワタシも押しつけがましい、エラそうな文章は書きたくない、
と思っていますが、
もし、そうなっちゃっていたら、
もう50歳だからと思って読んでちょうだいね、
と笑ってごまかしちゃいたいところですが、
50歳じゃまだだめかな~? ^^