就職活動中の学生さんからのお悩み相談の新聞記事を読みました。
要約すると
愛ある両親の元で、恵まれた教育環境で育った。
頑張って勉強して中学に入り、
中・高も頑張り、有名大学に入学した。
有意義な学生生活を送り、その事実には満足している。
でも、楽しいこともあったけど、実は殆どは何となくつらかった。
今、就活も頑張れば、それなりの会社に入れるとは思う。
だけど、これからもずっと頑張り続けなければならないのか?
と思うとゾッとする。
何か喝やアドバイスが欲しい。
といった内容でした。
それに対する清田隆之さん(文筆業)の回答。
英語で人間を「human being」と言いますが、実はもうひとつ「human doing」という言葉もあります。感情や欲求、価値観や生理的反応など、今ここにあるもの、否定しがたく存在しているものがベースとなっているのが being としての人間であるのに対し、能力や資格、肩書や実績など、行為によって獲得したもの、積み上げたものの総体として捉えるのが doing としての人間です。
将来ばかり見て ”今” を蔑(ないがし)ろにしてしまう。やりたいことよりやるべきことを優先してしまう。期待や役割に順応するあまり感情や生理的反応を抑圧してしまう。つまり being としての自分を置き去りにしていることが、今回のお悩みの根源ではないか。
~ 途中略 ~
この社会は圧倒的に doing 重視で、誰もがその影響力の中でいきています。でも私たちのベースは being の部分にあるはず。自分の欲求や違和感を流さず拾い上げ、そのバランスを取り戻していくことが、「なんとなくつらかった」日々を変える鍵になると思うのです。
2021年4月10日付け朝日新聞 別刷りbe 悩みのるつぼ 清田隆之(文筆業)より
調べた限りでは、
エーリッヒ・フロムさん(社会心理学・精神分析学・哲学)や
河合隼雄さん(臨床心理学)が
human doing ということを言ってらしたようです。
察するのが上手な子どもの場合、
親が特に支配的でなかったとしても、
愛情いっぱいで育てたとしても、
例えば社会の空気みたいなものでも、
とても敏感に汲み取ってしまう可能性はあると思います。
それは、よくない事とバッサリも言えないし・・・。
親子で繊細さ度合いが全く異なったり、
性格の違いもありますし、
愛情のかけかたにも様々ありますし。
今回の記事の場合、親御さんは
子どもの『何となくつらかった』という気持ちに気づかなかった、
のか、気づいてはいたけど、
将来の為を優先し、重要視しなかったのか
そこらへんはわかりません。
社会の何となくの雰囲気や親の意向って、
子どもによっては、
かなりの影響を受けると思います。
意志があって、かつ、はっきり表示できる子ならいいけど、
そうでない場合、
本当は A を選びたいけど、
親(とかイメージの中の社会も?)は
B を望んでいることがわかってしまって
自分から B と言ってしまい、
親も、子ども自ら B を選んだと思っているし、
何なら、子どもも、自ら B を選んだと思ってしまう、とかも、
ありそう・・・。
子どもは大抵親が大好きだから、
親を喜ばせたいし、褒められたら嬉しいし、
社会的に認められたらそれも嬉しいし、
競争に負けたくない、勝ったら嬉しい、というようなことも
あるかもしれません。
結果、周囲から見れば
大人の言うことをよく聞き、成績もよかったりで、
申し分のない、とてもいい子なのだけど、
いざ自分のエンジンで生きようとする段になると
エンジンが足りない、エネルギーが湧いてこない、という感じ。
ありそう・・・。
いつもいつも、
「今」よりも「将来」優先、
「やりたいこと」より「やるべきこと」優先
では、やっぱりしんどいかな、とワタシは思います。
being に 根差さない doing を積み重ねることは
一体どれくらいの幸せをもたらすんだろうか?
イヤイヤやらされてると思っても、
そのうち、好きになる、とか
やらされている時は嫌だったけど、
振り返ってみて、あの時やらされてよかった、と
いうこともあると思うので、
一概には言えないんだとも思いますが。
doing に being が追いついてくるような場合もあり得ると思うので。
相談者さんも、
今ここから、自分の being も十分働かせていけるように生きられれば
いいな、と思いながら読みました。
そうしたら、これまでの殆どがつらかった doing も
より輝きを帯びてくるかな、って。
そして、親御さんがそれを受け止めてあげられたなら、
子どもはとってもやりやすくなる、とも思います。
こんな本もあります。って読んでないので、スミマセンなのですが。