ひろゆきさんの『僕が親ならこう育てるね』を読みました。
こちらの本です。
ひろゆきさんのことは
ネットでよくお見かけして、その意見に頷ける場合が多い、
と感じていて、手に取りました。
「子育ての正解はコレだからこうせよ!」ではなく、
「僕だったらこう育てるね」という本のタイトルからして
ワタシには好印象でした。^^
いくつか抜粋。
失敗してほしくないという気持ちはわかりますが、人は失敗から学ぶことも多い。修復可能な失敗は子どものうちになるべく多く経験させたほうがいいと思います。
僕が親ならこう育てるね ひろゆき著 扶桑社刊 以下同じ
子どもの好奇心のままに任せた場合「ゲームや遊びばかりになる」と心配する親もいます。しかし、親がやってほしいことに子どもの興味を向けさせるという考え方自体が間違っていると思うのです。
「学校から帰ったら、先に宿題をすべき」という意見。賛否ありますが、別に子どもが率先してやるなら、朝早く起きて宿題をしたほうが効率のいい場合もあると思うのです。
いかにもワタシ好みです。^^
現実的な戦略として頷けるところ。
好きなことがゲームならプロゲーマーではなく、ゲーム開発者に。運転が好きならF1ドライバーではなく、トラックの運転手に。といった感じで、「好きなこと」や「やりたいこと」だけではなく、「ほかの人に比べて苦にならない仕事」を見つけると、気楽にお金がもらえると思うのです。~略~
僕が親ならば競争率が高くない分野で、子どもが苦にならないものを見つけてあげられるようサポートします。そのほうが楽しく暮らせる確率も高くなるわけですから。
やりたいことや好きでたまらないことを仕事にして、
他のこともバランスよく思う通りに暮らしていけたなら、
それはとても幸せなことだと思います。
けど、そうそう、うまくいかない場合もあります。
人生の要素は仕事以外にもいろいろとあって、
それらとのバランスを考えると、違う職のほうがよい、、、
とか、いろいろ、いろいろ、あると思うので
そんな中、
この、苦にならなくて、
そこそこお金をもらえる仕事に就けている、という状態も
結構ポイント高い、と思います。
(ワタシにとっての)極めつき。
ゲームは「やるな」より「とことんやれ」が正解だと思う
お金さえ払えばなんとかなる課金式のスマホゲーム以外、ゲームは手間をかけて操作を覚えたりプレイスキルを磨いたりと、面倒なことをしないとクリアできないようにできています。難しい状況を知識や経験、プレイスキルで乗り越えるといった経験ができる側面がゲームにはあるのです。
なかなかこういった意見は少ないように感じるので、
ちょっとは? 勇気づけられます。^^
いろいろな考えがありますので、我が家では、ということです。
と、オットに言ったら、
「え? オレがいるじゃん」と。笑
我が家は、19:00まで、という以外は、
小3コドモのゲーム・動画に時間制限をつけていません。
45分やったら15分休憩、というのは続けています。
そして、もう1冊。
こちらの本もほぼ同時に読みました。
中に、
ネットゲームについての養老孟司さんのセリフとして
何かに依存していることと、何かに夢中になることはまったく違う。一番の違いは、何かに夢中になっている自分自身を客観視できているかどうか、でしょうね。
子どもが心配 養老孟司 PHP新書
というのが出てきます。
客観視できているのが夢中、
客観視できていないのが依存、ということです。
ざっくり言って、養老さんはゲーム反対派もしくはゲームは心配派、というように読めます。
我がコドモの場合、依存か夢中か、に中毒も加えて、
どれに入るんだろう? と考えて、
現状は、夢中のほうだろうと思っているわけなのですが
客観視、というのがあまりピンとこなくて、
その箇所をオットに見せると
「それはよくわからないけど・・・。
うーん。(夢中と依存の違いは)そこに向上心があるかどうか、じゃない?」
あぁ、それはひろゆきさんと同じ発想か?
いずれ、コドモは他のことに興味が向かうのか、
もう少し静観します。
というかずっと静観かな。
あるいは、さすがに? どこかの段階で何かしら言うかな? わかりません。
ひろゆきさんの本の話に戻して。
全体、サラッと読めます。
日本の教育制度的な内容もあり、ワタシは概ね賛同でした。
この本の印税が児童養護施設にパソコンを寄贈するための費用に充てられる、
ということですので、ご興味あるかたはどうぞ!
コドモに本の帯をズラされましたの図。
「こるねてるね」がツボにはまったようで。
あまり、コドモにこちらの子育ての手の内さらさないほうがよいかな?^^
養老孟司さんの「子どもが心配」については、また別記事で。多分。