いちおう自分なりに、
できる限りコドモに愛情を注いで育てているつもりですが、
例えば、「(幼稚園の)預かり保育に行きたくない」とか言われてしまうと、
(今は、幼稚園自体は春休み期間で通常授業はありません。
コドモは全力で「預かり保育に行きたくない」と言ってます。
ワタシは仕事があるので、何とか行ってほしくて、
毎朝説得して、ようやく行ってもらってる、という感じです。
我慢して行ってくれているようにも感じます。
つい最近は
「広い世界なんてないよ」と言われてしまいました。
ワタシが「広い世界を見て来てほしいんだよ。
その練習だよ」みたいな言い方もするので、
それに対するアンサーなのですが。)
ポジティブに解釈して、「(預かり保育ではなく)もっと好きなことをやりたい」
という意欲の表れ、と受け取ることもできるし、
そのように受け取りたいと思いますが、
一方で、不登園?というのは、
「ワタシの愛情の注ぎ方が足りなくて、
安全基地がきちんとできていないから、
いつまでたっても楽しく幼稚園へ行けないのかも?」
とか、いくらでもネガティブな解釈をすることも可能です。
何で、我がコドモはこんなに嫌がるのだろう?って。
他の幼稚園生は、楽しく通っている子は楽しく、
または、それなりに通っている子はそれなりに通っているのですから。
コドモは一人っ子で、兄弟姉妹もいないし、
平日はほぼ母子家庭だし、
「幼稚園行きたくない」とか言われちゃうと、
なんだか追い詰められてしまいます。
あれこれぐるぐるしているうちに、
子供によって愛情タンクの量が違う、
という話を見つけました。
少しの愛情で十分満足できるタイプと、
たくさんの愛情をもらわないと満足できないタイプ。
その愛情タンクの容量が、子供によって違うという話です。
我がコドモは、もしかすると、
たくさんの愛情をもらわないと満足できないほうのタイプかもなぁ~と
思ったのですが、どうでしょう?
そういう子は、満足させるのがとても大変だけれど、
満足できたら、懐の深い、器の大きな人間になる・・・
というのが、本当かどうかわかりませんが、
どうなんでしょう?